パリオリンピックで正式採用されたブレイクダンスでメダルも間違いなしと言われている半井重幸さん。
半井重幸さんは小学生から海外の試合にも参加していたそうですが、とてもお金かかりそうですよね。
そこで今回は半井重幸さんを支えてきた父親の職業について調べてみました。
また母親がどんなふうに支えていたのかエピソードも紹介しますね!!
半井重幸のプロフィール
- 名前:半井重幸(なからい しげゆき)
- 芸名:Shigekix(シゲキックス)
- 生年月日:2002年3月11日
- 年齢:22歳(2024年7月現在)
- 出身地:大阪府大阪狭山市
- 身長:166cm
- 体重:56kg
- 家族構成:父、母、姉
- 出身高校:大阪学芸高校
半井重幸さんはShigekixという名前でダンサーとして活動しており、名前だけでも聞いたことがあるという方は多いのではないでしょうか。
半井重幸さんの経歴を見てみるとなんと2013年に「Unvsti 2013(フランス)」キッズソロ部門 優勝という記録があり11歳で世界大会で活躍していたことがわかります。
しかし、スポンサーが初めて付いたのは中学卒業のときだったのでそれまでは両親が海外に行く費用を出してくれていたのではと思うと一般人では難しそうですね。
2013年の大会以降、2017年のスポンサーつくまでに行った国はフランス、香港、中国、オーストラリア、オランダ、台湾、スロバニア と1年で何度も海外に行ってたみたい!
そんな、海外遠征をたくさんしていた半井重幸さんの父親がどんな仕事だったのか見てみましょう。
半井重幸の父親の職業は大企業の会社員!?
半井重幸選手の父親は半井重弥さんです。
顔写真は姉であるAYANEさんのTwitterに投稿されていました。
先日密かに教習卒業しまして、試験合格しまして、無事免許とれたんです🚗
— AYANE/ 半井 彩弥 (@bgirl_ayane) March 21, 2019
保険も無事入れまして、今日は朝からお父さん付き添いの元、2時間くらい運転してきました🚗
安全運転出来てたらしい🙌
もう少し待ってね、こんな感じで練習して、はやく安心して乗せれるようになるから☺️ pic.twitter.com/eGfJcm2OaD
しかし、半井重幸さんが大阪出身なのに「北海道で生まれた」と言う情報もあったため転勤があった会社出会った可能性も高いのではないでしょうか。
しかし、子どもにこれだけたくさん海外に行かせるのは流石に普通の会社員では無理ですよね。
そのため半井重弥さんの会社はかなりの大企業だった可能性が高いと思われます。
もしかすると、父親はとても家族思いの優しい方なので、転勤のある会社をやめて転勤のない会社に転職した可能性も考えられますね!
その時の退職金をとっておいて半井重幸さんの遠征費にしていた可能性もありそう。
半井重幸の母親のサポートがすごかった!!
半井重幸さんがブレイクダンスでこれだけの結果を出せたのは母親のサポートがすごかったそうです。
母の日!👩🏻🌹
— AYANE/ 半井 彩弥 (@bgirl_ayane) May 8, 2022
いつもありがとう!
お母さんが産んでくれたから、
たくさんの素敵な人に出逢えて、囲まれて
日々充実しまくりやー✌️
これからも元気でいてね!
あやねらしく活躍して恩返しする😤 pic.twitter.com/r0fPUvPBqN
母親のサポートエピソードを紹介します
- 好きを徹底的に応援
- 勉強も手を抜かせない
- 子供を信じる
- 世界をみせる!
好きを徹底的に応援
半井重幸さんがブレイクダンスに興味を持ったのは小学校2年生のときです。
姉の彩弥さんしていたブレイクダンスのために、大阪シティエアターミナル地下1階にあるポンテ広場に来た半井重幸さんはアクロバティックな動きに魅了され、いつの間にか踊っていたそうです。
見よう見まねで挑戦した技がすんなりできるようになり、「技を習得する喜びを覚えました」。その一方、1週間かけてもできない技があると「絶対できるようになりたいと燃える。ゲームをクリアしていくような感覚だったんだと思います」。新しい技を次々と覚える半井姉弟に、ポンテ広場の大人たちは熱心にアドバイスを送り、目を細めながら成長を見守った。
https://www.toto-growing.com/16pt/interview151
しかし、このポンテ広場での練習は夜9時からと小学生にはかなり遅い時間でした。
それでも子どもたちの好きを徹底的に応援するため両親は毎日送迎をして練習を見守っていたそうですよ。
勉強も手を抜かせない
半井重幸さんの母は「ブレイクダンスをやるには、やるべきことは人一倍やらないとだめ」と厳しい姿勢で接していたそうです。
そのため、当時はのスケジュールは
と超ハードで宿題ももちろん終わらないと練習には行けないというルールだったそうです。
『僕はいつ寝る時間があるんだ?』と思いながら、ダンスをするために毎日必死でした(笑)。ただ、今はかえって有難く思っています」
https://www.toto-growing.com/16pt/interview151
とコメントしている通り、ダンスが楽しすぎてこの生活も苦ではなかったようですね。
当時していた習い事は『英会話』『トランポリン』『水泳』『学習塾』と勉強系から体力系までバランスよく考えられており、これも子どもたちの可能性を広げるためだったんですね。
子供を信じる
半井重幸さんの母親は海外で活躍する息子に、小学生の時は一緒に海外遠征に行っていたそうです。
しかし、中学生からは同じ大会に出る大人に見てもらえるようにお願いをしたりして、一人で行かせていたそうです。
きっと、一人前だとみとめて子供を信じることを強く意識していたのかもしれませんね。
ここでも幼稚園からやってた英会話が役に立ったみたい!!
世界をみせる!
半井重幸さんの母親はとにかく世界を見せることにはこだわっていたそうです。
「母は10代の頃から自分で貯金をして海外に出掛けていたアクティブな人で、小さい頃から何をするにも世界を見てほしいと言われていました。世界はもっと広いんだから、物事を見る時はその地域レベル、国レベルでは捉えないようにって。だから、9歳の頃に初めて海外の大会で踊った動画がインターネットで注目されて、世界中から大きなリアクションとポジティブな評価をもらった時、『もっと世界で活躍したい、世界を見たい』と思うと同時に、母の言っていたことが少し分かった気がしました」
https://www.toto-growing.com/16pt/interview151
小さい頃から『世界』を意識させていたため「英会話」を習わせたり、海外の試合にも参加させたりしたのかもしれませんね!!
まとめ
今回は半井重幸さんの父親の職業や母親がどうやって半井重幸さんをサポートしてきたのかについて調査しました。
両親ともに子どもたちのやりたいことに全力で向き合いつつ、それ以外でも厳しくすることで世界で活躍できるダンサーになっていったようです・
半井重幸さんの姉もブレイクダンサーで兄弟揃って好きなことを仕事にできているのでとても素晴らしい育て方ですね。
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