男子バレー日本代表で活躍している甲斐優斗(かい まさと)選手。
現在専修大学に所属しながら2024年1月からはパリバレーで経験を積んで来た甲斐優斗選手。
そんな甲斐優斗選手、実は高校3年まではほとんど注目されることがなかったそうです。
そこで今回は甲斐優斗選手に高校時代何があったのか、小学校から中学校、高校・大学と学歴とともにバレーボール選手として活躍するまでのターニングポイントについても見ていきましょう!!
甲斐優斗の日南振徳高校時代がやばすぎた!!
甲斐優斗選手が宮崎県の日南振徳高校に進んだのは宮崎県でバレーボールの名将と言われる鍋倉監督がいたからです。
鍋倉監督は甲斐優斗選手の父が、延岡工業高校で指導を受けた恩師で甲斐優斗選手の2つ上の兄が高校に進学する際に父のすすめもあって日南振徳高校に進学しました。
父が『息子をお願いします』って頼んだんだって!!
甲斐優斗選手は兄の孝太郎さんが進学した日南振徳高校に追いかけるように進学したんですね。
兄の孝太郎さんは3年生のときキャプテンをしていたので、1年で甲斐優斗選手が入学してきて兄弟で大活躍かと思いますよね。
しかし、意外なことに高校1年生のときの甲斐優斗選手は今とは別人だったそうです。
ここからは甲斐優斗選手の成長エピソードを紹介します。
高校1年はヤクルトジャンプ
高校入学時の甲斐優斗選手は身長が185cmとバレー選手としては超有望な高身長選手だったそうです。
しかし、ジャンプ力が皆無だったそうで、当時キャプテンをしていた兄は高校1年生のときの甲斐優斗選手について『ヤクルト(位の高さ)ジャンプ』だったとコメントしています。
「身長は190cmぐらいあったんですけど、全然跳べなくて、スパイクを打ってもネットにかかるか、ネットインで入るか、という感じ。ヤクルト(の高さほどの)ジャンプです。もう本当に、あれはひどかったです(笑)」
https://4years.asahi.com/article/15070322
2024年現在の甲斐優斗選手は最高到達点は353cmなので、その活躍を見ている私達にはヤクルトジャンプが想像できないですよね!!
鍋倉監督も入学当時の甲斐優斗選手を「なんの特徴もない普通の中学生だった」と最初の印象を語っていまよ。
鍋倉監督の指導方法
甲斐優斗選手を育てるときに鍋倉監督はこのような指導理念をもっていたそうです。
「高校3年間で、どう変わっていくかは分からない。固定観念を持たず、いろいろなことができるオールラウンダーに育てる」
https://mainichi.jp/articles/20240615/k00/00m/050/120000c
そのため、当時185cmもあって攻撃選手として強化させそうなところを
- 攻撃だけではなくレシーブやトスの練習
- 成長(身長)を考えて練習量を抑える
などゆっくりと丁寧にバレー選手として育てました。
また甲斐優斗選手も、おとなしそうな雰囲気を持っていますが
「口に出さないタイプだが、意識は高い。賢く、言わなくてもできる子なので、いちいち指示する必要もなかった
「内に秘めた闘志を持っているし、プレー面では絶対にサボらない。周りの人は優斗のスマイルに惑わされるが、実はものすごい負けず嫌い」
https://mainichi.jp/articles/20240615/k00/00m/050/120000c
と実はかなり熱い思いを持った選手だったそうです。
3年生では春高バレーベスト4
入学当時はヤクルトジャンプで特徴のなかった甲斐優斗選手ですが、高校3年間で驚異的な成長をしました。
高校卒業後、専修大学に進んでいた兄が甲斐優斗さんの3年の春高前に練習相手をつとめたときのことをこのように語っています。
優斗の3年時の春高前に練習相手を務めたとき、優斗のスパイクは一変していた。ミドルブロッカーのポジションからの速攻だけでなく、高いトスからのスパイクも打てるようになっていた。
https://4years.asahi.com/article/15070322
ずっと一番近くで見てきた兄がここまで驚く成長をするって本当にすごいですよね!
実際に春高では強豪と言われる熊本の鎮西高校には負けてしまったものの、愛知県の星城や東京の駿河台高校など強豪校に勝ちベスト4になっています。
2022年1月、当時の記事で鍋倉監督は甲斐優斗選手のことをこう語っています。
「自分がどの位置にいるか、本人もわかっていません。この大会でも高さはトップクラスだと思いますけど、本人はそう思っていない。まだ高く上から打てると思っています。まだまだ伸びる選手なので、将来はアウトサイドヒッターとして日本を代表するような選手になってくれると期待していますよ」
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/8440
しかし、このコメントから1年もせずに日本代表に初選出されているので、鍋倉監督もかなり驚いているようですよ!!
甲斐優斗の小学校~大学までの学歴と経歴調査!
甲斐優斗選手が大きく成長したのは高校時代ですが、バレーのきっかけは小学校時代から始まっています。
そこで学歴を確認してみましょう。
小学校
甲斐優斗選手は小学2年生のときに父親が監督をしていた「延岡南バレーボールクラブ」でバレーを始めました。
しかし、最初は絶対バレーをしないと言っていたようですが甲斐優斗選手の父親の作戦で自然とバレーを始めたそうです。
甲斐優斗選手と父親のエピソードはコチラの記事に詳しくまとめいてますよ。
小学校時代の記録は見つからなかったけど、上の画像でトロフィー持ってるから強かったのかもしれないね!!
中学校
甲斐優斗選手の中学時代には目立った成績はなかったようです。
しかし、小さいときから身長だけは高かったそうで中学校卒業時には180cmを超えていたようです。
中学3年生男子の平均身長は170cmだと言われているのでかなり高い方だったのではないでしょうか。
高校
日南振徳高校は住んでいた延岡市からは車で40分の距離で高校時代は兄と同じ寮で生活していたようです。
実は甲斐優斗選手と兄の孝太郎さんが仲良くなったのは高校に入ってからだったそうです。
中学校までは喧嘩ばっかりでしたが寮で親元を離れたことで喧嘩している場合ではなくなったとコメントしています。
初めて親元を離れてさみしい気持ちを、兄弟で支え合ってカバーしていたのかもしれませんね!
大学
専修大学のバレー部は専修大学生田校舎の総合体育館で活動しているようです。
大学も兄の後をおって専修大学に進んでおり、専修大学を選んだのは高校時代の恩師の鍋倉監督の勧めだったそうです。
専修大学では2023年シーズンに初めて兄とともにインカレの舞台に立っています。
甲斐優斗さんと兄孝太郎さんのエピソードはコチラの記事に詳しくまとめているので合わせて読んでくださいね!!
甲斐優斗は2024年パリバレーに挑戦!!
甲斐優斗選手は2024年6月現在専修大学の3年生ですが、2024年の1月からパリ・バレーに参加していました。
甲斐優斗選手自身はインカレも終わりやっとゆっくりできると思っていたそうですが、日本代表の監督を務めるフィリップ・ブラン監督から大学の試合がない期間に海外チームに参加したほうがいいと言われたことで急遽海外挑戦することになりました。
当初は不安も大きく無理だと思っていた甲斐優斗選手ですが、日本代表でも一緒の宮浦健人選手がいたことですんなりと馴染むことができたそうです。
この挑戦が甲斐優斗選手の中で一皮むけるきっかけになったようで、「どこにいても変わらないな」と思って活躍できるようになったそうですよ!!
まとめ
甲斐優斗選手の運命を変えた高校時代とバレーとともに歩んだ学歴について深堀りしてみました。
甲斐優斗選手のこれまでのバレー人生は兄が切り開いてくれているようでどんな選択も
「自分は兄について行ってるだけです。自分の道を作ってくれる存在なのかなという感じ」
https://sensupo.com/news/detail/id/23876
と語っています。
そんな兄孝太郎さんは大学でも同じ寮で空き時間は寝てばかりいる甲斐優斗選手にご飯を作っていった利していたそうです。
そんな兄とともに過ごした学生時代があるからこそ、今の甲斐優斗選手の活躍につながっているんですね。
今後、日本代表でも活躍し大学卒業後の進路も気になる甲斐優斗選手。
これからの活動もおっていきたいと思います!!
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